勉強方法(がどうして売れるのか)


『社会人になると必要と迫られて勉強するので、勉強方法もへったくれもない』

以上。




というわけにはいかない。それくらいの空気は読める。
しかし具体的な勉強方法など個々にあるだろう。。



そこで『勉強方法』とか『就活対策』とか、どうしてそういうものが若者にモテるのかという話をしたい。
その上で最後に、読者層として多いであろう大学生に少なくとも大学時代に勉強しておいたら宜しいのでは?という話を簡単にする。


AA) 『勉強方法という商品』
あなたが尊敬する先輩で『今、俺こういう勉強しているのだけど、もの凄く得るものがあるから貴兄もやってみなはれ』という人がいるだろうか?私は居ないと思う。理由は簡単で、勉強(もしくは学習・学び・修行)とは、その瞬間から時間的に遅れて効用が見えてくるものだからである。すなわち、勉強している人間にとって『自分がどこに向かって、何をゴールとして勉強しているのか?』ということが最後までわからないままであり、ある瞬間に『あ、これは今までやってきたXからやってきたものなのかもしれない』と何ともいえない実感を得るものだと考える。


では、『勉強方法』とは何か? 世に吐いて捨てるほどの『超速勉強法』とか『速読法』とか『絶対受かる面接術』といった類の本やらセミナーが存在する。これは貨幣経済に生きる我々の現代病であると言ってもいいと思う。

貨幣とは二つの特徴を持つ。
一つはその貨幣と貨幣が持つ価値と等価値のもの、あるいは等価値になるとあらかじめインプットされているものをタイムラグなしに交換するためのツールであること。一つは貨幣の前に置いては、使用者はその属性に関わらず平等に扱われるというもの。属性とは所属する国家であり、男女性差であり、年齢・趣味・思想といったもの。(5歳の女の子が100万円を持ってカルティエに宝石を買いに行っても、店員は怪しいと思うことはあろうが、これを拒むことは出来ない。また、決済をした瞬間に100万円の価値のある宝石の所有権はこの女の子に移転される。)


さて、話を戻す。
『勉強方法』という商品は、この無時間的な交換と貨幣の平等性が習慣づいてしまっている若者(ならびに一部の中年)を対象に開発されたものではないかと私は勘ぐる。
『二千円払うにあたって、どの本が最も瞬間的に効果を発揮するのか? この勉強をしたあとの効果は何か?』これがまず市場価値を持つ"勉強方法"に求められるものである。さらに世に

そういった類の本がばら撒かれるのは、『それを選択するのは"貨幣を持つ私"である』という勉強する側の意思によるものだと推する。

小さい頃から、親に1000円札を握らされて労働者(=すなわち付加価値の供給者)同様に価値を消費してきた我々にとって、こういった『対策』 『解決』 『方法』の消費を求めるのは仕方ないことなのかもしれない。これが、昨今の『実用的ソリューション』がモテる私見である。


繰り返して申し上げるが、試験勉強を除く勉強・学びとは常に時間的に遅れて(もしくは先行して)己に到達するものであって、洗剤や車みたいにその効用が使用前・使用中にはっきりわかるものではない。よってもって安易な方法論に走るのはやめましょう、というのが勉強方法の最初のスタンス提案でございます。


BB)大学時代にやっておく勉強
就職活動で使えるレベルの英語を身につけるには、この期間しかないと思う。留学なしでも十分身につくので2年くらいちゃんと勉強してみて下さい。出来れば英語でレポートもしくは論文を2本くらい書くとよいと思います。最初は参考書の丸写しでもいいから論文を書いていくと、教養のありそうな英語が身につくかと。ちなみに偉そうなワタシも大学に入ったときはTOEICで480点くらい。卒業するときは倍くらいあったと思う。その勉強方法はまた今度。試験勉強用の勉強の話ではなかったので。


あらん⇒『大学時代にやっておくべきこと』を聞かせてください♪