喧嘩の作法 喧嘩の効用

天津に来て一週間。まだまだ友達も出来ず寂しい限りである。


まずは"社長業とは"に触れられている「しゃしゃるな発言」に対して最初に弁解する。

取引先でもない2代目に対しては当然よそから見れば他人事である。心優しいチンムーが、よくわからないオジさん達の他人事コメントに都度心を痛めるのが辛いので申し上げただけである。社長業とは孤独業。今までのように、みんなが話を聞いてくれるわけではない。涙が出ることもあると思うが、頑張って欲しい。力をつけば、自然に人は寄って来る。
コノヤローと思わせてごめんね。


さて、喧嘩の話。

大嫌いである。
罵られるのも嫌だし、殴られて痛いのも嫌だ。しかも、罵られたらすいませんでしたと頭を下げて逃げ帰りたくなるような性格であることも承知している。人に罵倒されてヘイヘイということを聞く自分が嫌いなので、二重に嫌いである。(その割、アランとチンムーの喧嘩の仲裁に入って、飛び膝蹴りを喰らったときにはぶっ殺してやろうと思ったのだけど)

が、喧嘩というのは時に必要なものであるし、喧嘩の効用というのも否定しないわけではない。


まず重要なのは事前の礼儀である。剣道は防具を被って、お願いしますと頭を下げて、その後思いっきり相手の頭をぶったたくというスポーツである。
なんとわかりやすい手本か。立場とか置いておいて、殴りますというのは相手と自分を対称な関係に持ち込むこということである。「一時だけ対称になりますがすみませんという」謙虚さが日本人らしい。


我々の世界は非対称を前提に成り立っている。
(あなたと私が入れ替わることが出来ない、というのが非対称な世界という意味である)喧嘩とはその世界に一瞬だけ対称な世界への入り口を作る機能を持っている。お前と俺って、一緒だよな。お前が俺で、俺がお前だよね。だってほら、お互い痛いし、血も出てるし、じゃあお互いを大切にしようね、と。対称を通じて非対称を理解する。そういう方法もあるってことですよね。


話は変わって、天津では日本人スタッフと中国人スタッフの調整になかなか苦しめられている。中国にある日系企業の宿命。駐在vs 現地採用。グローバル化が進み、日本語も英語も喋れて、お給料もお得な中国のスタッフが増え、日本人として本社から派遣されてくる意味はなんだろう。給料ほどのValue差を出せてるのだろうか?

アラン→「中国駐在の日本人の意義」


暑いからビール飲んできますので、いい知恵貸してください。