C世代として

新年一発目の日経新聞元旦号で一面を飾った連載コラム「C世代駆ける」という記事、
1月3日早朝に地元の政治家から電話がきてびっくり。
『おまえの友人が日経の一面に載ってたぞ。これからは君たちの時代だよ、自分もしっかり君たちに繋いでゆけるよう頑張ってゆくから。』というような内容をいただいた。


そう、なんとその記事にはあらんが載っていたのだ。年末に東京に来ることがあったので細やかな忘年会をひらいた際に話には聞いていたのだが、実際紙面に載っていた時には嬉しく、また誇らしく、同時に焦りも感じた。


それからというもの毎日C世代の記事をチェックしていたのだが、同世代で活躍する若者たちにスポットをあてた大変読み応えのある記事が並んでいた。日経が震災の翌年一番最初に特集を組んだのには次世代への強い期待が込められているに違いない。


因みにC世代とは、日経曰く、こうある。

「ジェネレーションC(C世代)」はここ数年、米国で使われ始めた言葉だ。年齢は限定しないが基本的に若者。
CはComputer(パソコン)、Connected(接続)、Community(共同体)、Change(変化)、Create(創造)などを意味する。(以下略)※他にも多くの意が込められている。


氷河期世代、団塊ジュニア世代、ゆとり世代など、これまでも数多く評論家・マスコミが主導となって創られた世代があったが、どこかネガティブで皮肉の込められたもので、このように期待の込められた世代名称は大歓迎だ。
(裏を返せば皮肉も言えない程世界的に余裕のない状況とも言えるが・・。)




特集の中でも印象に残ったのがC世代特集の最後を飾った1月12日のグリーの田中良和社長(34)の記事。(一部抜粋)


行動しない人に他人を批判する権利はない。そういう考え方でないと幸せになれない。「政治にリーダーシップがない」と主張する人は自分で政治をやればいい。そうれなければ責任逃れだ。頑張りもせず、文句だけ言っていて幸せか。


ほとんどの人は頑張っていると思うが、自分の日常に没頭している。社会から恩恵を受けていることを忘れず、社会のために行動しなければだめだ。世の中に役立つことをすれば、自分もいい世の中に住める。


僕より年上で仕事をしている現役の人にはもっと頑張ってほしい。いいところも悪いところも含めて、いまの日本を生みだした人たちだ。何かを成し遂げる力、実績もあるはず。頑張ってうまくいってもいかなくても結果は次の世代に強制的に引き継がれる。大事なのは説明だ。なぜ日本はこうなったか。最後にきちんと事実を伝えて終わるのが役割だろう。


グリーが手掛けるソーシャルゲームは、日本で雇用を生み、税収を増やせる数少ない産業だ。石油や鉄鉱石などの資源に頼らず、原材料費がかからない。製品はネットで海外に売れ、島国や極東といった地理の不利もない。独自の世界観、粘り強くつくるといった日本的なものとも相性がいい。たかがゲームと否定的にはとらえないでほしい。



正直自分はソーシャルゲームはあまり好きではないが、若者世代、年配世代に檄を飛ばし、且つ説明責任を果たし結果をだしている田中氏の発言には期待と共感が持てた。


最後に、今週の頭に母親から記事の特集の切り抜きをいただいた。自分にも期待を込めてくれている人がいるんだね。ありがとう。