キュウサイ

バトンをいただいてから実に17日ぶりの更新。救済というお題で休載なんてシャレにもならない。新人連載作家だったらとっくにクビである。しかしそこは冨樫義博も驚きのふてぶてしさでちゃっかり更新。

そういえば今月の18日〜26日日本に帰っていました。
小学校の同級生が担当の「進撃の巨人」という新連載マンガを紹介してもらった。絵やコマ割は
週刊誌、月刊誌のそれとくらべて安定していないがストーリー展開や独特の世界観に読者はひきこまれてゆくだろう。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)


さて、今回のテーマである「救済」。 ぞーたん氏が前回のBlogで述べていた本の正式タイトルは
「積みすぎた箱舟」。二十二歳の青年ナチュラリスト、ジェラルドダレルが相棒と二人ででかけた
カメルーンへの野生生物採集の旅物語なので、ノアの箱舟とは残念ながら関係がない。よって「救済」のキーワードとも縁遠い作品だが、野生生物の描写やカメルーンの現地人とのやりとりは実に面白いので皆さんにも手にとっていただきたい。ちなみに本作を紹介していたのはは成毛眞氏の「大人げない大人になれ」。言わずもがなお勧め。

積みすぎた箱舟 (福音館文庫 ノンフィクション)

積みすぎた箱舟 (福音館文庫 ノンフィクション)

大人げない大人になれ!

大人げない大人になれ!

救済とはなんだろう。wikiペディってみる。
救済(きゅうさい:英語: salvation)とは、ある対象にとって、好ましくない状態を改善し、
望ましい状態へと変えることを意味する。
宗教的な救済は、現世における悲惨な状態の改善が宗教に帰依することで解消または改善されることも意味する。
様々な宗教で極めて重要な概念であり、救済を強調する宗教は救済宗教とも呼ばれ、救済宗教
で通常「救済」という場合は、現世の存在のありようそのものが、生及び死を越えた存在領域にあって、何らかの形で決定的に改善されることを表すのが一般である。


救済という行為は非常に難しい。尊ばれる行為であると同時に一歩道を間違えると救う側、救われる側の双方にとって良い結果を生まない。

救済には救う側と救われる側が存在する。往々にして起こるのが「間違った救済活動」ではないか。
例えば救われる側が救いを求めておらず、救う側が一方的に救われる側が好ましくない状況だと思い込み求めていない救済をする場合。良かれと思ってやっている事が実は相手にとっては必要でなく、価値観や優しさの押しけになってしまうと「ありがた迷惑」になってしまう。

かと言って救済される側の要求している事を満たしてあげる事が必ずしも救済になっているとはいえない。
新興国への食糧支援などは、一時的には救済になっても、慢性的に続くと食糧支援をあてにしてしまい自助自立の道から遠ざかってしまう。

救済する際には何が必要とされているのが、そして救済活動が救済される側にとって本当に必要な事なのかを充分に検討し、期間、規模をしっかりと設けて予測可能な救済をする、そして救済される側も救済してくれる事を当たり前と思わずに、自助自立ができるまでの救済ととらえ、救済に依存しない事がが望ましいのではないか。


それではあらん氏にバトンで「拘り(こだわり)」で、お願いします。