今の自分の3つのキャッチコピー

前回の記事はSanRenXin3万Hitを記念し、ゲスト投稿〜20代が見た中国〜ということで、上海のレストラン・バー情報を中心とした『上海大夜総会 -Annex-』 を執筆している上海の人気ブロガー蜜さんに投稿をお願いし、『No Mileage, No Flight』という記事を執筆していただいた。(ちなみに50000Hitで再びゲスト投稿を予定しています。我こそは〜20代が見た中国〜というコンセプトで記事を書かれたいという方、ご連絡お待ちしています。)


そしてそして、その蜜さんから回ってきたバトンはこちら→
>あらんさんは日頃から、『三十而立(三十にして立つ)』という孔子の言葉をよく用いられていますよね。また2011年1月に書かれていた渾身の記事『51のやりたいこと』も拝読しております。それらを踏まえた上で、現在のご自分を端的に表す3つのキャッチコピーとその心を、是非ともお聞かせ願いたく。ただ1点、知られざるあらんさんの意外な一面や、あえて普段は秘められた内なる魅力を垣間見れるような、そんな“スパイシー”な秀作を期待しております!

蜜さん記事の執筆並びにバトンありがとうございます。



では早速、今の自分の3つのキャッチコピー。


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一、『三十而立(三十にして立つ)な人』(まずはやっぱりこれ)
二、『中国をはじめアジアと心から向き合う日本を創る人』
三、『アジアで会社を成長させる人』]]



以下一つずつ紹介していく。



一、『三十而立(三十にして立つ)な人』


この言葉を意識し始めたのは、今から約7年前2004年大学2年生のころ。大学内各世界の交換留学の枠があり、自分は大学1年生のころ上海に一人旅をしてその街の発展ぶりに衝撃を受け、その街の中心にある上海交通大学にどうしても入りたかった。

交換留学の枠は2つ。そこには中国語の面接という大きな壁が立ちはだかった。当時ほとんど中国語が話せなかった自分にとって3分くらいの中国語スピーチは大変なものだった。何を言おうかと迷い、予備校時代自分に中国経済の魅力を語ってくれた神戸に住む先生(恩師だと思っている)に相談に行った。

大学時代に北京留学のご経験がある先生は、自分の中国語スピーチの内容を添削してくれ、それを朗読しテープに吹き込んでくれた。そして最後に「孔子说、三十而立(孔子の30にして立つ)という言葉を知ってる?ここに書いてるスピーチの内容は30歳の時きっと叶うと思うよ。」と自分を励ましてくれた。スピーチの内容には、「上海に留学し、日本酒を広げる仕事をしたい」と書いた。

下宿に戻り、ネットで『三十而立』について調べてみた。

『子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。』(わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまって、それで道をはずれないようになった。)

なんとすばらしい言葉だろうか。当時21歳だった自分にとってその日から30歳で自己の見識を確立し、独立するという意味が含まれる『三十而立』がキャッチコピーとなった。あと2年くらい、この言葉をキャッチコピーとして意識したい。

ちなみに、、このSanRenXinは同じく孔子の言葉、
『我三人行(sanrenxing)、必得我師焉』(我三人行なえば必ず我が師を得う。)をもじっている。2009年10月上海でブログ立ち上げ構想をぞーたんとちんむーの三人で練っていたとき、上海のおいしい火鍋屋三人行でぞーたんだったかちんむーだったかが出したSanRenXinというアイデアにいいね!と反応した気がする。今でもブログタイトルは大変気に入っている。


二、『中国をはじめアジアと心から向き合う日本を創る人』


最近、大学時代の日中交流の学生団体を共に立ち上げた仲間から紹介してもらい、NPO法人ETIC主催『ソーシャルベンチャー・スタートアップマーケット』という事業支援プログラムに参加している。運よく自身のプランが最終予選を通過し、スタートアップ第三期メンバーに選ばれ年内の事業化を目指し自身のプランを進めている。

先日、6月中旬に東京で開催された『インパクトギャザリング』という支援プログラムに参加してきた。

自分が提出したプランを土曜日、日曜日の丸々二日かけて再構築し、これまで事業を創ってこられた方、事業を支援された方など多方面からご意見をいただいた。そして、自分がこれからの人生本当に何をしたいのか、するべきなのか、自分のコンセプトのような物が見えた。

それがこのキャッチフレーズ。『中国をはじめアジアと心から向き合う日本を創る人』という言葉に込められている。

年代という軸で日本とアジア各国との関係を見ると、1940年代生まれの高度経済成長を経験した父の世代と1910年代生まれの戦争を経験した祖父の世代とでは日本の世界での立ち位置、中国をはじめアジア各国の世界での立ち位置が大きく違うため、アジア各国へ抱くイメージが異なり、その結果向き合い方も違っている。

例えば、私が中国に住んでいることを世代が違う人に話すと、「危なくないの?」とか「清潔なの?」とかマイナスなイメージな言葉が返ってくることがよくある。しかし、実際住んでみると、危なくも無く、街もどんどん清潔になっており、また夢を語り合えるすばらしい同世代の友達ができる。

僕達世代の日本人は、中国やインドなどアジア各地の成長を横目に、日本の現状維持、右肩下がりを経験する世代であることが予想される。そんな中、僕達世代の日本人がやるべきは、祖父や父親の世代が築き上げた日本の強みを理解し、アジアでリーダーシップをとり意義のある事業を展開していき、良好な日本とアジア各国の協力関係を築くことだと感じている。

アジアで意義のある事業を展開するためには、その国、土地を本質的に理解して、人々が本当に欲しているものを理解する必要がある。そのためには日本人一人一人が心からアジアと向き合える日本にしていくべきだと思う。

結果、僕達の子供世代、孫の世代の日本人はアジアまた世界で日本人としての誇りを持ち存在し、アジアと今以上のより良い関係を保っていればと思う。


三、『アジアで会社を成長させる人』


2011年2月中国をはじめアジア各地で日本酒や日本酒関連商材の市場を創造するための会社を上海で創業し、営業許可書の取得、銀行口座の開設等の手続きが終了し先日2011年7月2日に設立に到った。

当ブログの人物紹介でも書いている通り、自分は日本酒に関係のある家系で生まれ育ってきたことが影響し、日本酒に大変興味を持ちこれまでを過ごしてきた。キャッチコピーの一つ目ができたのも、大好きな日本酒を興味のある中国で広げてみたい。という想いから生まれてきた。

今はサービスオフィスを一部屋借り、一人の中国人大学生のアルバイトに来てもらい日々の業務に取り組んでいる。この会社をもっと成長させたいと日々思う。

先日、故郷である広島県呉市でちりめん業をお父さんやお兄さんと営む高校時代の野球部の同期がお誕生日を迎え、28歳の抱負を聞いてみたらこんなメールが返ってきた。

「抽象的な表現かもしれんけど信頼です。自分が自分に対して。会社のメンバーから。他の網屋から。これが出来た時に親父やおじさんに認めてもらえるんかなと思って頑張ってます(^_^)”」

すばらしい心意気だと思った。彼は収穫期には毎朝3時半に起き漁に出て、瀬戸内海から朝日を眺めている。彼の言葉にあるように自分もお客さん、社員、投資家、関係会社、取引先、社会、あらゆる角度からの信頼を増やしていき会社を成長させていかなくてはならない。



以上、蜜さんからの知られざる意外な一面は見えたか分からないけど、今の自分の三つのキャッチコピーです。自分=上の三つを周りからイメージしてもらえるよう日々進んでいきます。



それでは、バトンは最近拠点を天津から東京に移したぞーたんへ。

『東京での先週1週間の動き〜個人日記風に〜』

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(今回更新が少し遅れてしまいごめんなさい)